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東京地方裁判所 昭和61年(ワ)11441号 判決

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告粂川昇二(以下「原告昇二」という。)に対し四一七〇万円及びうち三七一三万五〇〇〇円に対する昭和六〇年一月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、原告粂川悦範(以下「原告悦範」という。)及び同大沼洋子(以下「原告大沼」という。)に対し各二〇八五万円及びうち一八五六万七五〇〇円に対する昭和六〇年一月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、原告海野誠一郎(以下「原告海野」という。)に対し四三四万二四八九円及びうち三五七万六四八九円に対する昭和六〇年一月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文一、二項同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  主催旅行契約の成立

被告は、旅行業法三条所定の登録を受けた一般旅行業者であるところ、昭和五九年六月ころ、「フンザとガンダーラの旅(副題-カラコルムハイウェイを行く-)」と題する主催旅行(以下「本件旅行」という。)を代金二九万八〇〇〇円として企画・募集し、右募集に応募した粂川らく(昭和五九年九月九日死亡、以下「亡らく」という。)及び原告海野と本件旅行についての主催旅行契約(以下「本件契約」という。)を締結した。

2  事故の発生

本件旅行の途上である昭和五九年九月九日午後六時五〇分ころ、パキスタンイスラム共和国(以下「パキスタン」という。)のギルギット近郊において、亡らく及び原告海野らの本件旅行参加者の乗車したバス(以下「本件バス」という。)が片側一車線の山岳道路であるカラコルムハイウェイ(以下「本件道路」という。)を走行中約一五メートル崖下に滑落し、本件旅行参加者中の男性一名と亡らくを含む女性三名の計四名が死亡し、原告海野を含む九名が負傷した(以下「本件事故」という。)。

3  被告の責任

(一) 主催旅行契約の性質

主催旅行は、旅行業者が予め旅行の目的地及び日程、旅行者が提供を受けることができる運送又は宿泊のサービスの内容、旅行者が旅行業者に支払うべき旅行代金額を定めた旅行計画を作成し、参加者を広告等の方法で募集して実施する旅行を意味するものであり、本件契約は、被告が企画した主催旅行という商品を亡らく及び原告海野が有償で取得することを内容とする非典型・無名契約である。

すなわち、主催旅行契約とは、旅行業者の計画に係る主催旅行を一体不可分の有機的結合体として顧客に有償で提供するものにほかならず、これは商品の販売をその経済的本質とするものであり、民法所定の典型契約のうちでは委任及び売買に類似するものということができる。したがって、これら典型契約の法律関係を類推し、主催旅行契約においても、委任における受任者の善管注意義務や売買における売主の瑕疵担保責任等が問題となりうるが、むしろ有償双務契約の原点から出発して、旅行企画という商品の特殊性及び当事者間の公平の原則を基準として合理的な法律構成をすべきである。このような観点からすれば、旅行業者は、代金受領の反対給付として、自己の企画立案した旅行商品を旅行者らに対して提供する法律上の義務を有するものと解すべきである。右商品は瑕疵のない完全なものであることを要し、またその完全性は旅行の安全性を含むものであり、少なくとも具体的危険のあるときにはこれが排除されなければならない。そして、旅行は、その性質上、運送機関の事故等一定の危険を常に内在させているものであるから、旅行業者は、主催旅行を企画・立案するに当たっては、応募者に旅行内容についての選択の余地が事実上ないことに鑑み、瑕疵のない完全な旅行を提供すべき義務の一内容として当該旅行に内在する危険が現実化する可能性の有無を検討したうえ、危険が現実化する蓋然性が高い場合には、当該具体的危険を排除し、また、可及的に危険を排除してもなお具体的危険が残存する場合には、これを主催旅行契約締結に際して明示し、当該具体的危険の存在を前提として主催旅行契約を締結するか、又は右主催旅行の企画自体を中止すべき義務を負うものと解すべきである。

したがって、旅行業者に右義務の違反(安全性を含む完全な商品の提供をしないこと、あるいは危険な商品の提供をしたこと)がある場合は債務不履行(不完全履行)となり、これにより旅行者に損害が生じたときには、旅行業者はその損害を賠償すべき義務があるものというべきである。以上のように解することが、主催旅行契約申込者の意思にも一般の常識にも合致するものであり、主催旅行契約の申込をする者は、旅行業者に対し、単に切符の手配、宿泊、運送その他の手配を依頼したにすぎないとは考えていない。

(二) 本件契約旅行における具体的危険

(1) 本件事故は、本件バスが摩耗のためその表面の溝がほとんど消失し外力に対する耐久性の著しく劣化した危険な状態にあるタイヤを装着したまま、道路整備が不十分な本件道路を走行していたことから、右前輪のタイヤが本件道路脇の崖から本件道路上に落下していた岩石に接触して破裂し、その結果、操縦の自由を失った本件バスが本件道路外に飛び出したために発生したものである。また、本件バスは、本件事故当日(昭和五九年九月九日)の午前五時三〇分にアボダバードのホテルを出発し、カラコルムハイウェイを通って宿泊予定地のギルギットに夕刻到着する予定であったものであるが、右出発時から午後六時五〇分の本件事故発生まで走行時間約一〇時間、走行距離およそ四五四キロメートルの間を一人の運転手が本件バスを運転していたため、右運転手は本件事故当時には疲労のため落石回避の措置を採ることが不可能な状態にあった。以上のように、本件事故の原因は、〈1〉本件バスに対する点検整備が不十分で溝のほとんど消失した耐久力の劣化したタイヤを装着して走行したこと、〈2〉本件バスが道路整備が不十分な本件道路を走行していたこと、〈3〉本件バスの運転手に対し事故回避の措置を採ることを期待することができないほど安全性に無理のある旅行日程を組んでいたことの三点である。

(2) さらに詳細にこれを見れば、

(ア) パキスタンにおいては、わが国のような車検制度がないのであるから、一般的に車両整備に不十分なところがあることは容易に推測しうるうえ、現に車両の走行に関して決定的に重要なタイヤにつき、溝の消失したものが一般に抵抗なく使用されており、本件バスも溝のほとんど消失したタイヤが使用されていた。

なお、本件事故の原因のうち現地警察の捜査により唯一明確にされたことは、本件バスのタイヤが道路上の岩石との接触(衝突)によりバースト(パンク)した、ということだけである。ヒンドゥー語から英語に訳されたテクニカルフォールト(技術的欠陥)が何を示すのか明らかではないが、〈1〉少なくとも本件バスの車体の側に問題があり、〈2〉運転手の過失によるものではないことの二点だけは明確である。

(イ) パキスタンにおける道路整備状況は、都市部ではさほど問題はないようであるが、本件道路の整備状況は常に不十分である。すなわち、常にどこかで補修工事が行われている自然的環境条件にあり、落石予防のための防護ネット、砂泥や流水の流出防止処置、照明装置等の設置がなく、流水、砂泥の流出、落石の拡散が見られる。

しかして、前記(ア)の車両整備不良とこの道路整備不良の相乗効果により、運行の危険は一層増大する。

(ウ) 本件バスには運転の交代要員が乗車しておらず、一人の運転手がバス運行の全行程を運転することになっていた。

本件事故当日における本件事故までの間を見ても、本件バスの運転手は遺跡見物と僅かな休憩時間を除き、午前五時三〇分のホテル出発から午後六時五〇分の事故発生まで走行時間約一〇時間、走行距離約四五四キロメートルの間を運転しているのである。このような運転計画自体が、運転手の疲労を招き、事故発生の蓋然性を高めたことも自明の理である。

(三) 被告は、原告が問題とする右具体的危険については、事前に調査することなく、道路整備状況につき、パキスタンの国内事情に精通しているといわれる訴外広島三朗の水準を確保しているとの趣旨の説明を聞いていたのみである。

(四) 被告の債務不履行及び不法行為

被告は、亡らく及び原告海野と本件契約を締結するに当たり、旅行先であるパキスタンの車両の整備状況及び本件道路の整備状況等の交通事情に関し十分な事前調査を実施したうえ、整備不良の車両を旅行先の交通機関として利用したり落石や路肩崩壊の危険が大きい道路を移動経路として使用するなど、事故に至る具体的危険性の大きい事情については事前にこれを排除し、他に選択しうる交通機関や移動経路がないなどの選択の余地のないときには企画・募集自体を中止するなどの措置を採るべき注意義務があったにもかかわらず、これを怠り、調査不十分のまま具体的危険の大きい本件旅行を企画・募集し、その結果、車両の整備・保安状況がずさんな本件バスを、道路整備が不十分な本件道路で一人の運転手に長時間にわたり運転させることが極めて危険性の高いものであることを看過し、亡らく及び原告海野との間に本件契約を締結し、本件旅行を実施した過失により、原告らに本件事故による損害を被らせたものであり、これは被告の債務不履行に該当し、同時に、具体的危険の存在を看過して本件旅行を募集し、契約を締結した点で不法行為にも該当する。

したがって、被告は、主位的には民法四一五条に基づき、予備的には民法七〇九条に基づき、本件事故により原告らが被った後記損害を賠償すべき責任がある。

4  損害

(一) 亡らくの損害 合計九二七七万円

(1) 逸失利益 六二七七万円

亡らくは、本件事故当時、五六歳(昭和二年一二月二四日生まれ)の女性できわめて健康であり、株式会社大丸組の役員として一月三〇万円の報酬を、茶道教授として一月二〇万円の収入を、立川女子高校の教師として一月一二万円の給与を、所有不動産から一月二五万円の収入をそれぞれ得ていたものであるところ、本件事故に遭遇しなければ、六七歳に達するまでの一一年間引き続いて右所得を得ることが可能であったから、生活費としてその三〇パーセント控除し、新ホフマン方式に従い年五分の割合による中間利息を控除して同人の逸失利益の本件事故当時の現価を算出すると、次の計算式のとおり、六二七七万円(一円未満切捨て)となる。

(計算式)

(三〇万円+二〇万円+一二万円+二五万円)×一二×〇・七×八・五九=六二七七万円(一円未満切捨て)

(2) 慰藉料 三〇〇〇万円

本件事故は交通・通信事情の悪い外国のしかもその首都からでさえ交通機関を乗り継いで半日以上もかかる辺地で発生したため、救援活動にも多大の困難があり、留守家族に対する状況説明も要領を得ず、現地との連絡もほとんど取れない状況であった。また、本件事故現場での応急措置も採れなかったため、ギルギットの病院に到着した後に死亡が確認された亡らくの苦痛は筆舌に尽くし難い。更に、亡らくが事実上経営全般を担当していた株式会社大丸組にも亡らくの死亡により多額の損害が発生しているにもかかわらず、本件訴訟においてはその請求をしていないのであるから、これらの事情を斟酌すると、本件事故による亡らくの死亡による慰藉料額は、三〇〇〇万円とするのが相当である。

(3) 相続

原告昇二は亡らくの夫、原告悦範及び同大沼はいずれも亡らくの子であり、亡らくの死亡により亡らくの取得した右損害賠償請求権の全額(九二七七万円)をそれぞれ法定相続分に従って相続した(原告昇二について三七一三万五〇〇〇円、原告悦範及び同大沼についてそれぞれ一八五六万七五〇〇円)。

(二) 原告昇二、同悦範及び同大沼の損害(弁護士費用)合計九一三万円

原告昇二、同悦範及び同大沼は、被告が右損害の賠償請求に応じないため、本件訴訟の提起・追行を原告ら訴訟代理人に依頼し、着手金及び成功報酬として合計九一三万円の支払を約し、右金額を各自の相続した損害賠償請求額に案分して負担することとした(原告昇二について四五六万五〇〇〇円、原告悦範及び同大沼についてそれぞれ二二八万二五〇〇円)。

(三) 原告海野の損害 合計四三四万二四八九円

(1) 物損 合計二九万三二〇〇円

原告海野は、本件事故によりカメラ、腕時計等合計一一点余りの物品を破損紛失したが、その金額は合計二九万三二〇〇円である。

(2) 入通院交通費・雑費等 合計一三万二二八九円

原告海野は、本件事故により左第四ないし第九肋骨骨折、左肺挫傷の重傷を負い、昭和五九年九月一七日から同年一〇月九日まで入院し、その後も同月一〇日から昭和六〇年五月二八日まで通院して治療を受けたが、その間の原告海野及び付添人の交通費・雑費の金額は合計一三万二二八九円である。

(3) 入通院慰藉料 一二〇万円

右のように、治療のために入院期間三〇日、通院期間七か月半を必要とした原告海野の受傷に対する慰藉料は、一二〇万円が相当である。

(4) 後遺障害による逸失利益 一〇五万一〇〇〇円

原告海野は、本件事故当時である昭和五九年度には年収一〇四五万円を得ており、本件事故に遭遇しなければ、将来にわたり右金額を下回らない金額の収入を得ることができたものと推認されるところ、本件事故による前記受傷により、長期にわたる治療にもかかわらず左背部筋硬着痛の後遺障害を残し、本件事故後二年間にわたり労働能力を五パーセント喪失したから、その間の逸失利益は一〇五万一〇〇〇円となる。

(5) 後遺障害による慰藉料 九〇万円

右後遺障害によって原告海野の被った精神的苦痛に対する慰藉料は九〇万円とするのが相当である。

(6) 弁護士費用 合計七六万六〇〇〇円

原告海野は、被告が右損害の賠償請求に応じないため、本件訴訟の提起・追行を原告ら訴訟代理人に依頼し、着手金及び成功報酬として合計七六万六〇〇〇円の支払を約した。

5  結論

よって、被告に対し、原告昇二は四一七〇万円及びうち弁護士費用を除く三七一三万五〇〇〇円に対する本件事故の日の後である昭和六〇年一月一日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を、原告悦範及び原告大沼はそれぞれ二〇八五万円うち弁護士費用を除く一八五六万七五〇〇円に対する前同様の遅延損害金の支払を、原告海野は四三四万二四八九円及びうち弁護士費用を除く三五七万六四八九円に対する前同様の遅延損害金の支払をそれぞれ求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1及び同2の事実は認める。

2  請求原因3(一)の主張は争う。同(二)(1)の事実のうち、本件バスが、その右前輪タイヤがパンクしたため、本件事故に至ったこと、本件バスが、本件事故当日の午前五時三〇分にアボダバードのホテルを出発し、カラコルムハイウェイを通って宿泊予定地のギルギットに到着する予定であったこと、本件事故当日において右出発時から本件事故発生の午後六時五〇分ころまで本件バスの走行時間が約一〇時間、走行距離が約四五四キロメートルであり、一人の運転手が本件バスを運転したことは認めるが、その余の事実は否認する。同(二)(2)(ア)の事実のうち、パキスタンにおいては、車検制度がないこと、溝の消失したタイヤが一般に抵抗なく使用されていること、現地警察が本件事故の原因は本件バスのタイヤが道路上の岩石との接触(衝突)によりバーストしたとしたことは認めるが、その余は争う。同(イ)の事実は争う。同(ウ)の事実のうち、本件バスに交代要員がなく、全行程を一人の運転手が運転することになっていたこと、本件事故当日の出発地、出発時間、本件事故の発生時刻、走行距離等が原告ら主張のとおりであることは認めるが、その余の事実は否認する。同(三)の事実のうち、被告が広島三朗からパキスタンの状況を聞いていたことは認めるが、その余の事実は否認する。同(四)の主張は争う。

3  同4の事実のうち、亡らくが本件事故当時昭和二年一二月二四日生まれの五六歳であったことは認める。原告昇二が亡らくの夫、原告悦範及び同大沼がいずれも亡らくの子であることは知らない。その余の事実は否認し、損害額は争う。

三  被告の主張

1  約款による免責

(一) 約款による契約の成立

被告は、一般旅行業者であり、旅行業法一二条の二に基づき旅行者と締結する旅行業務の取扱いに関する契約に関し、旅行業約款を定め、運輸大臣の許可を得なければならないところ、旅行業約款(主催旅行契約)を作成し同約款につき運輸大臣の許可を受けている(以下右約款を「本約款」という。)。

ところで、本件旅行は、旅行業法二条三項及び本約款二条一項において規定されている主催旅行に該当するものであるところ、亡らく及び原告海野からの契約申込(ツアー参加申込)及び申込金の支払に対し、申込金の受領をもって同人らと被告との間で本約款一条一項に規定する主催旅行契約が成立したものであるから、亡らく及び原告海野と被告との間の旅行条件、旅行内容その他の法律関係は、旅行業法及び本約款をはじめとして本件旅行の募集パンフレット、旅行条件書、最終案内書等に定めるところによることになる。

(二) 主催旅行契約における旅行業者の債務内容

本件契約に基づき、被告が亡らく及び原告海野に対し負担する債務の内容は、本約款三条に規定されているとおり、被告が、旅行者のために代理して契約を締結し、契約の成立について媒介をし、又は取次をするなどにより、旅行者が被告の定めた旅行日程に従って運送・宿泊機関の提供する運送、宿泊その他の旅行に関するサービスの提供を受けることができるように、手配することを引き受けるものである。

したがって、本件契約においても、被告は、あくまでも本件旅行の旅行者の委託を受けて旅行者のために運送、宿泊の契約締結を代理し、又は取次をすることを引き受けたものにすぎず、被告みずから旅行者との間で旅行者に運送、宿泊その他の旅行に関するサービスをみずから提供する契約を締結し、若しくはみずから旅行者のために右行為をすることを引き受けたものではない。

右のような主催旅行契約の趣旨・目的に鑑みると、同契約に基づいて旅行業者が旅行者に対して負うべき債務は、次の二つに大別できる。

(1) 旅行サービスの手配

旅行業者は、旅行者に対してパンフレット、募集要綱等で約束した運送、宿泊等の旅行サービスの提供ができるようにするために必要な行為を行う義務を負う。旅行業者は、旅行者をして運送、宿泊等の旅行サービスを享受しうる地位におけば足り、したがって、旅行者を代理、媒介、若しくは取り次いで運送、宿泊機関等との間に旅行サービス提供契約、すなわち運送契約、宿泊契約等を成立させれば、旅行業者の義務は履行されたことになる。そして、右手配に当たり旅行業者又はその手配代行者の故意又は過失により旅行者に損害を与えたときは、旅行業者はその損害を賠償すべき責任を負うことになる(本約款二一条一項本文)。

(2) 旅程管理

旅行業者は、その主催した旅行が安全かつ円滑に実施されるように必要な措置を講ずる義務を負う。具体的には、〈1〉旅行者が旅行サービスを受けることができないおそれがあると認められるときには、主催旅行契約に従った旅行サービスの提供を確実に受けられるために必要な措置を講じなければならず、〈2〉旅行契約の内容を変更するときには、その変更の幅ができる限り小さくなるように努力しなければならない。そして、右旅程管理に落度があり、旅行業者に帰責事由があるときには、旅行者に対し損害賠償責任を負わなければならない(本約款一八条)。したがって、旅行業者が主催旅行契約に基づいて旅行者に対して負担すべき債務及び責任は、右の(1)及び(2)に尽きるのであって、原告ら主張のような「旅行先の危険排除義務」ないしは「旅行計画中止義務」などを負担する根拠は全くない。

(三) 本件契約における被告の債務の履行

(1) 旅行サービスの手配

(ア) 被告は、本件旅行に関する日本-パキスタン間の運送サービスに関しては、旅行者とパキスタン航空株式会社を代理して旅客運送契約を締結した。

また、被告は、パキスタン国内における宿泊及び運送サービスに関しては、その手配を日本法人であるグローバルプランニング株式会社(以下「グローバルプランニング」という。)に代行させ(取次の委任)、同社が右手配を更に同社の現地手配先であるシルクロードツアーサービスカンパニー(以下「シルクロードツアーサービス」という。)に代行させ(取次の委任)、同社が旅行者のためにパキスタン国内における各宿泊先ホテルとの宿泊契約及びバス旅行に関するイスラマバードトランスポートシステムとのバス運送契約を締結するについて取次を行なった。

(イ) 被告は、パキスタン国内における宿泊及び運送サービスの手配をグローバルプランニングに代行させるに当たり、あらかじめ同社に旅行費用等の見積をさせたほか、会社内容、過去の実績、現地における手配内容等を調査・検討したうえ、同社が、〈1〉日本国内に法人格のある営業拠点を有していること、〈2〉日本交通公社株式会社、近畿日本ツーリスト株式会社、新日本トラベル株式会社、国際ロータリー旅行株式会社等の大手旅行業者との間に旅行手配に関する取引があること、〈3〉料金が安いこと、〈4〉同社のパキスタンの現地手配先であるシルクロードツアーサービスを通じてほぼ一月に一回の割合で前記国際ロータリー旅行株式会社、日本交通公社株式会社、近畿日本ツーリスト株式会社のほか、毎日サービス、阪神航空、東京放送株式会社、毎日放送株式会社等のための観光及び取材旅行ないし個人の観光及び登山等の旅行を手配した実績があったこと、〈5〉インド共和国、ネパール王国、スリランカ民主社会主義共和国、バングラデシュ人民共和国、イスラエル国、トルコ共和国、パキスタン等の地域の旅行を広く手配していたこと等の諸般の事情を考慮し、グローバルプランニングが被告の企画したシルクロードツアーを手配するには最も適切な日本国内のオペレーターであると判断して同社に右手配を代行させたものである。

(ウ) グローバルプランニングは、以前からパキスタンの旅行についてシルクロードツアーサービスに手配の一切を代行させていたものであるところ、被告が同社の会社の内容、過去の実績等を調査し、他のパキスタン国内のツアーオペレーターと比較検討したところ、シルクロードツアーサービスは、〈1〉パキスタンの首都イスラマバードに本社を置き、本件旅行の旅程にあるギルギットにも事務所を有していたこと、〈2〉旅行業のほかにギルギットにホテルとレストランを所有し、旅行サービスのためにバスを輸入し、また、イスラマバード、ギルギット、カシュガル間に定期バスを運行する等のサービスを行っていること、〈3〉同社の代表者サミュエル・ハク夫人は日本名を督永忠子という日本人であって、日本語を話す経験豊富なガイドを五人も雇用していたため、特に日本の大手旅行業者、日本人の個人旅行者に定評があったこと、〈4〉観光旅行者、放送取材グループ、探検家、登山隊等の日本の旅行者だけでも昭和五八年度、昭和五九年度ともそれぞれ五五〇名にのぼる多数の旅行者のための旅行を手配し、何らの事故もなく完全なサービスを提供した実績があったこと、〈5〉同社の社長の夫サミュエル・ハク氏は、ギルギット出身の有力者であって、ギルギット方面の山岳地帯の旅行について精通しており、かつ社屋の一部が宿泊施設となっていることから、日本からの登山家、学生旅行客、長期旅行者、マスコミ関係業者にも好評を得ており、日本大使館でもしばしば通訳その他の手配にも利用していたこと等の事実が判明したことから、被告の企画した本件旅行をパキスタン国の現地で手配する業者としては最適であると判断し、シルクロードツアーサービスを現地のオペレーターとしてグローバルプランニングを通じて本件旅行の手配の一切を代行させることとしたものである。

なお、その際、被告は、シルクロードツアーサービスに対し、運送サービスの手配に当たっては運転経験の豊かな運転手を指定して手配するとともに、日本語が話せかつ経験豊かなガイドを供せ手配するよう依頼していたが、同社は被告の右依頼に基づき、イスラマバードトランスポートシステムとの間で本件旅行の旅行者のためにバス運送契約を締結するに際し、同社の優秀な運転手の手配を依頼し、また経験豊富なガイドを配して本件旅行に望んでいる。

(エ) 被告は、パキスタン国内の観光旅行客のバス輸送について、以前のシルクロードツアーにおいては旅行業者ワルジスを利用したが、同社には小型バスしかないため、旅行者の数が多い場合には他のバス会社を更に手配しなければならなかった。

そこで、被告が昭和五九年度のシルクロードツアーを企画するに当たり調査したところ、〈1〉シルクロードツアーサービスが以前から使用しているバス業者イスラマバードトランスポートシステムは、乗客が一八名から二五名程度の人数になっても対応できるバスを一〇台保有するパキスタン最大手のバス業者であり、その所有バスのすべてが乗車定員二五名の最新型のトヨタコースターでイスラマバード、ラワルピンディ、カラコルムハイウェイ、ギルギット等パキスタン国内で走っている他のバスとは比較にならない程新しいバスであったこと、〈2〉同社は、イスラマバード市内の路線バスを定期的に運行しているほか、旅行業者各社からの依頼に応じてバスをチャーターすることなどにより多くの市民、観光客を運送している実績があり、現地のほとんどのオペレーターも、一〇人から一八人の人数によるパキスタン国内の旅行にはイスラマバードトランスポートシステムを使用していたこと、〈3〉同社は、パキスタン国大統領の監督下に設立されたイスラマバード・シチズンズ・コミッティ(ISLAMABAD CITIZENS COMMITTEE-イスラマバード市民委員会)所有の法人であって、パキスタンにおいてバスを所有する業者により構成されるバス委員会によって運営される法人として「イスラマバード・シチズンズコミッティ」の名称で登録されているほか、イスラマバード市内の定期路線バスの運行を主たる事業目的として設立された公益性の強い法人であったこと、〈4〉そのため、同社には基盤となる資本金がそもそもなく、大蔵省より非課税法人の指定を受け、バスを輸入する場合でも政府より免税輸入が認可されていたほか、カラコルムハイウェイを経てギルギットへ向かう山岳方面へのバスの運行については、その度に申請をし許可を得なければ営業としての運行はできないのが原則であるにもかかわらず、同社に限りその公益性のためにその度毎に許可を得なくても右ハイウェイを運行することが認められているなど数々の特典をパキスタン政府から得ていたこと、〈5〉そのため、パキスタンにおいて昭和五八年度に開催された旅行業者の会議の席上でも、パキスタン政府から、イスラマバードトランスポートシステムは他の現地バス会社に比較して非常にサービスがよいと賞賛されていたほか、パキスタン国の観光大臣からシルクロードツアーサービスに対し、イスラマバードトランスポートシステムが良い車両を所有しているのでぜひとも使って欲しいとの推薦がなされていたこと等が判明したことから、被告は、本件旅行のパキスタン国内における運送サービスを提供させるにはイスラマバードトランスポートシステムが最適のバス業者であると判断し、シルクロードツアーサービスに手配させたうえ、イスラマバードトランスポートシステムのバスを使用することとした。

そして、シルクロードツアーサービスは、イスラマバードトランスポートシステムに対し、本件旅行におけるパキスタン国内の旅行者のバスによる運送に関し、昭和五九年八月三〇日付書簡をもって右運送のためのバス及び本件旅行のルートに精通するベテランで非常に評判の良い運転手を特に指定して依頼し、イスラマバードトランスポートシステムとの間で本件旅行の旅行者のためにバス運送契約を締結したものである。

(オ) 以上のとおり、本件旅行の旅行者のためにパキスタン国内における運送機関としてイスラマバードトランスポートシステムを選択したことに関し、同社と運送契約を締結したシルクロードツアーサービスにはもちろん、同社に運送サービスの取次を委任したグローバルプランニング及び同社に運送サービスの取次を委任した被告のいずれにも何ら過失はない。

(2) 旅程管理

(ア) 被告以外の他の旅行会社は、既に昭和五七年以前からカラコルムハイウェイを旅程に含むツアーを実施していたが、昭和五八年に古代中国、インド、ローマの三大文化圏を繋いだシルクロードのテレビ放映が行われ、シルクロードの歴史及び文化が注目を浴びるようになったことから、同年に至り、被告も、パキスタンのラワルピンディからカラコルムハイウェイを北上し、ギルギット、フンザ、グルミットを訪れ、再びカラコルムハイウェイを南下してギルギットに戻り、スワートを経てペシャワールから航空機にて帰国する全日程一二日間の「フンザとガンダーラの旅」を企画するに至った。

被告は、右企画に当たり、当初から財団法人日本パキスタン協会、国営パキスタン観光開発公社及びPIAパキスタン国際航空の協賛を得るとともに、財団法人日本パキスタン協会企画委員、社団法人日本山岳協会海外常任委員、日本山岳会高所登山委員であり、カラコルムハイウェイを含むパキスタンの国内事情に精通している広島三朗の全面的協力と指導を得て、日本放送出版協会発行の「シルクロード」、読売新聞社発行の「夢とロマンのシルクロード」等の書籍、財団法人日本パキスタン協会やパキスタン大使館等から取り寄せた資料等を参考にしながら、資料及び旅行案内書等の作成並びに日程等の企画立案を行なった。

(イ) 被告は、旅行内容の設定に当たり、広島三朗を交えて昭和五八年度に被告が初めて主催するシルクロードツアーの企画に関する会議、打合せを十数回にわたって行い、その結果に基づき、中国からパキスタンに向かいシルクロードを西進し、両国国境のクンジェラブ峠を越えるルートが政治的見地及び交通機関の確保等の観点から実施困難なため、他の大手旅行業者や登山家、ロケ隊等のほとんどが利用するルートによるものとし、旅行日数、観光内容、旅行費用、旅客の安全等の諸条件に照らし、最も合理的かつ実際的なルートを設定した。

すなわち、成田空港からパキスタン航空の航空機にてパキスタンのイスラマバードに至り、ラワルピンディで宿泊し、ラワルピンディよりガンダーラ最大の仏教遺跡のあるタキシラを訪れ、シルカップ、博物館、山岳僧院を観光後、アボダバードヘ向かい、更にタコットからカラコルムハイウェイに入り、カラコルム山中をドライブして北上し、ハイウェイの中継点であるギルギットを訪ね、バザール、カルガの磨崖仏等を観光し、再びカラコルムハイウェイを北上し、フンザを訪ね、同所に宿泊する。そして、フンザ、グルミットの観光を終えた後、カラコルムハイウェイを南下してギルギットに戻って宿泊し、更にハイウェイを南下しスワートに至りウディグラムの仏塔などを観光した後タフティ・バハイの山岳仏教寺院を観光し、ペシャワールに宿泊し、ペシャワール観光後航空機で帰国するという旅程である。

右旅程の中心ルートであるカラコルムハイウェイは、ラワルピンディの北二三七キロメートルのタコットからカラコルム山中を経て中国との国境クンジェラブ峠までの全長六四五キロメートルの完全舗装、幅員一〇メートル余りの複車線の山岳ハイウェイで、一九七八年に中国とパキスタンの共同作業で完成したものであり、両国を結ぶ動脈ともいうべき幹線道路である。照明やガードレールの設置はないが、防護縁及び防護柱並びに道路標識等は設置されており、険しい山岳地帯のインダス川沿いの断崖に作った道路だけに落石もあるが、常に部分的な補修作業が行われており、また、ラワルピンディ方面からギルギット方面へ行くにはカガン谷からバブサール峠を越えるジープ道が他にあるものの、夏の数か月しか通行できず危険であり時間もかかることから、シルクロードツアーにおいてはカラコルムハイウェイが唯一の交通路といっても過言ではない。

(ウ) 被告は、昭和五八年に実施するシルクロードツアーの内容について事前調査を済ませた後、現地における旅行会社ワルジス、運送会社、ホテル等と具体的な旅行条件について交渉を進め、同年六月から八月にかけて三回の企画を設定して旅行者を募集したが、応募が少なかったため、同年八月五日出発分のツアーのみを実施した。右ツアーは、同日から同月一六日までの一二日間の日程で、旅行費用は四七万八〇〇〇円、シルクロードの観光内容、歴史、文化等に精通する広島三朗を講師、被告東京航空支店の国際旅行部課長杉山忠男を添乗員とし、一般旅行者八名の計一〇名の参加者で、出発前に企画した内容どおりの旅行日程をもって何らの支障や事故もなく実施された。

(エ) 被告は、昭和五九年度のシルクロードツアーの実施に当たり、従前からの資料に基づく調査、広島三朗の豊富な経験に基づく指導及び助言、昭和五八年度に実施したツアーの経験並びに同年度のツアーに添乗同行した右杉山忠男の報告をふまえて旅行日程を立案した。

右杉山忠男は、昭和五八年度のツアーに添乗同行した際、パキスタン航空機の運行状況及びサービスの内容及び質、パキスタン国内の政情、交通手段、宿泊機関及びレストラン等のサービスの内容及び質、ワルジス等旅行業者のサービスの内容及び質、カラコルムハイウェイの道路状況、車両の運行状況及び観光客及び旅行者の客層並びにコース内容等の全般について調査、点検したが、その報告によれば、カラコルムハイウェイは、旅行者、登山家、トレッキングのグループ等の観光客のほとんどが利用する幹線道路であって、バスによる移動は全く無理のない安全なものと判断された。

また、旅行参加者の健康と安全を十分に配慮し、宿泊機関については全行程にわたり日本において通常とされるような基準より劣るとはいえ、参加者に一応満足のいけるようなホテルを確保し、行程中食事をとる場所もホテルや外国人観光客になじみの有名な大きいレストランを手配した。

なお、被告は、右旅行日程の立案に際し、アボダバードからギルギットまで一日のうちに約五〇〇キロメートルをバスで約一三時間かけて移動するという旅程を設定しているが、これは、〈1〉設備、食事、部屋の衛生度等の見地から、一般的な外国人が宿泊するのに問題がないような基準に達すると判断される宿泊機関がアボダバードからギルギットの間には当時存在しなかったこと、〈2〉一泊して観光するに値する名所、旧跡がカラコルムハイウェイの途中に存在しなかったこと、〈3〉一般的に日本人以外の外国人旅行者、観光客は、一日間でイスラマバード、ギルギット間のカラコルムハイウェイをチャーターバス、ジープ、コースターなどにより日中あるいは夜間移動していること、〈4〉右のような移動がカラコルムハイウェイの道路状況、気象条件、給油の頻度、食事の回数等に照らして無理がなく、何らの抵抗もなく日本の大手の旅行会社によって採用されており、広島三朗の助言・指導によっても問題がないとされていたこと、〈5〉イスラマバード、ギルギット間の空路が有視界飛行のため、山間部の気流等によりほとんど欠航の状態であって当てにならず、交通手段としてはカラコルムハイウェイの利用が事実上唯一の方法であったことからであり、右旅行日程の設定は強行軍とはいえない。

そして、前年度に企画したツアーの期間が長すぎ旅行代金も高額であったために参加できない旅行者があったことを考慮し、安い旅行代金でより広範囲の数多くの旅行者の参加を見込み、ことに何度か海外旅行の経験のあるいわゆるリピーターを中心として募集することとし、旅行日数九日間のツアーを七回(旅行代金は二九万八〇〇〇円ないし三三万八〇〇〇円)、一二日間の旅行日数で広島三朗を講師とするツアーを一回(旅行代金は四三万八〇〇〇円)設定し、参加旅行者が二〇人未満の場合は添乗員は同行せず現地において日本語を話すガイドに随行してもらうという旅行条件で企画したうえ、被告の旅行取扱各支店に指示し、パンフレット、新聞及びダイレクトメール等を通じて参加者を募集した。また、参加希望者への説明会として、昭和五九年五月二四日午後六時三〇分から虎ノ門の国立教育会館において「パキスタンの夕ベ」と題し、広島三朗の講演とスライド、シタール演奏家若林忠宏によるパキスタン音楽の鑑賞の集いを催した。

右企画に基づき、昭和五九年度は、一〇名の旅行者による同年七月一三日出発分、六名の旅行者による七月二七日出発分及び一二名の旅行者による八月一一日出発分の三回のツアーが、本件事故のあった九月七日出発分の本件旅行前に、実施され、いずれも何らの事故や問題もなく終了している。

(オ) 本件旅行の参加者は、当初の予定どおり、昭和五九年九月七日日本を出発してイスラマバードに至り、同日は本件バスでラワルピンディに向かい同所で宿泊し、翌同月八日は午前中に本件バスでラワルピンディからタキシラを訪ね、同所で観光を終えた後再び本件バスでアボダバードヘ向かい同所で宿泊した。イスラマバードトランスポートシステムは、イスラマバード出発前約二時間にわたり本件旅行に使用された本件バスを入念に検査したが、車体及びタイヤには全く異常はなく、危険な状態にはなかった。

本件旅行の参加者は、翌同月九日朝五時三〇分ころ本件バスでアボダバードを出発し、カラコルムハイウェイを途中休憩しながら約四六九キロメートル北上し、同日の夕刻には宿泊予定地であるギルギットに到着する予定であった。ところが、同日午後六時五〇分ころ、本件バスがギルギットの手前約一五キロメートルの地点に差し掛かったところで本件事故が発生した。本件事故現場はカラコルムハイウェイの右カーブが終わり左カーブに入ったところであり、同所を走行していた本件バスの右前輪がパンクして運転手が右にハンドルを取られたため、本件バスは右側の崖を谷底に向い二、三回回転しながら約一五メートル滑落し、崖の途中の平担な場所にタイヤを道路側に向け横倒しの状態で停止した。

(カ) 本件バスは、一九八一年(昭和五六年)型でさほど古くはなく、イスラマバードトランスポートシステムがイスラマバードを出発する前にタイヤや車体について入念な検査をしたときも異常は見あたらず、一九八四年(昭和五九年)四月一八日に六か月毎の法定点検を実施したときも異常なしということで検査をパスしており、次回は同年一一月二日までに点検を受ければ良いことになっていた。本件バスの運転手もベテランであって、運転資格についても何ら法律的に問題はなかった。

また、イスラマバードトランスポートシステムは、山岳地帯を運行できる一貫したライセンスを持っていることから、本件旅行の過程にあるカラコルムハイウェイを運行するに当たっても格別の許可を得る必要はなかった。

なお、本件バスの装着していたタイヤは韓国製であるが、パキスタンでは、新品のタイヤの輸入を厳しく制限しているため、溝の擦り減った中古タイヤが旅客、貨物運送業者をはじめ一般市民にも抵抗なく使用されており、右車体の点検、整備に際してもタイヤの摩擦についてはさほど問題としていなかった。

(キ) 本件事故は、本件バスの運転手の居眠りやわき見運転などの不注意により発生したものではなく、ギルギットの警察署の報告によっても車両の技術的欠陥が原因ではないかといわれており、本件事故の原因は明らかではない。

また、タイヤの強度そのものは磨耗していてもさほど低下するものではなく、何らかの偶発的要因によりタイヤが破裂したとしか考えられない。なお、本件バスの運転手らはカラコルムハイウェイを走行中に本件バスのブレーキドラムに冷水をかけて冷やしていたが、これは日中長時間山岳地帯を走行するとブレーキドラムの油圧系統が加熱されて気泡が生じブレーキの効きが悪くなって危険なためであり、熱したタイヤを冷却するために冷水をかけていたものではない。

(ク) 以上のとおり、被告は、みずから主催した本件旅行が安全かつ円滑に実施されるようにその立案から旅行サービス提供の手配にまで必要な措置を十分講じており、本件旅行の旅程管理に過失はない。

2  損害の填補 合計一八五〇万円

被告は、原告昇二、同悦範及び同大沼に対し、本約款二二条一項に基づく補償金として合計一八五〇万円を支払った。

四  被告の主張に対する認否

1  被告の主張1(一)及び(二)の事実は認める。ただし、旅行業者が主催旅行契約に基づいて旅行者に対して負担すべき債務及び責任が旅行サービスの手配及び旅程管理に尽き、原告らの主張する「旅行先の危険排除義務」ないし「旅行計画中止義務」を負担する根拠はない旨の主張は争う。同(三)のうち、(1)(ア)及び(2)(オ)の本件事故の状況については認めるが、その余の事実は否認ないし不知。被告の本件旅行における旅行サービスの手配及び旅程管理に過失はなかった旨の主張は争う。

2  被告の主張2の事実は認める。

第三  証拠〈省略〉

理由

一  請求原因l及び同2の事実は当事者間に争いがない。

二  そこで、請求原因3及びこれに対する被告の主張1の事実及び主張について判断する。

1  請求原因3(二)(1)の事実のうち、本件バスが、その右前輪タイヤがパンクしたため、本件事故に至ったこと、本件バスが、本件事故当日の午前五時三〇分にアボダバードのホテルを出発し、カラコルムハイウェイを通って宿泊予定地のギルギットに到着する予定であったこと、本件事故当日において右出発時から本件事故発生の午後六時五〇分ころまで本件バスの走行時間が約一〇時間、走行距離が約四五四キロメートルであり、一人の運転手が本件バスを運転したこと、同(二)(2)(ア)の事実のうち、パキスタンにおいては、車検制度がないこと、溝の消失したタイヤが一般に抵抗なく使用されていること、現地警察が本件事故の原因は本件バスのタイヤが道路上の岩石との接触(衝突)によりバーストしたとしたこと、同(ウ)の事実のうち、本件バスに交代要員がなく、全行程を一人の運転手が運転することになっていたこと、本件事故当日の出発地、出発時間、本件事故の発生時刻、走行距離等が原告ら主張のとおりであること、被告の主張1のうち、(一)の約款による契約の成立の事実、(二)の主催旅行契約における旅行業者の債務内容(ただし、これに尽きるかどうかの点を除く。)並びに(三)(1)(ア)及び(2)(オ)の本件事故の状況については当事者間に争いがない。

そして、右争いのない事実に、〈証拠〉を総合すれば(ただし、証人杉山忠男及び同田村耿生の各証言並びに原告海野誠一郎本人の供述のうち、後記採用しない部分を除く。)、以下の事実が認められ、証人杉山忠男及び同田村耿生の各証言並びに原告海野誠一郎本人の供述中右認定に反する部分はこれを採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  被告は、本件旅行の企画に先立ち、昭和五七年から昭和五九年にかけて古代中国、インド、ローマの三大文化圏を繋いだシルクロードのテレビ放映が行われ、日本中でシルクロードの歴史及び文化が注目を浴びるようになっていたこと、被告以外の他の旅行会社が昭和五七年以前からシルクロードを旅程に含むツアーを実施していたこと等から、昭和五七年末ころから右ツアーの企画に取り組み、財団法人日本パキスタン協会、国営パキスタン観光開発公社及びPIAパキスタン国際航空の協賛を得るとともに、パキスタン政府観光局から取り寄せた資料やシルクロード関係の出版物・図書を参照し、また、パキスタンの国内事情に精通している登山家広島三朗の意見を聞くなどして、昭和五八年の夏を中心に、パキスタンのラワルピンディからカラコルムハイウェイを北上し、ギルギット、フンザ、グルミットを訪れ、再びカラコルムハイウェイを南下してギルギットに戻り、スワートを経てペシャワールから航空機にて帰国する全日程一二日間の「フンザとガンダーラの旅」を三回企画した。

右旅行内容の設定に当たっては、広島三朗を交えて企画会議、打合せを十数回にわたって行い、その結果に基づき、パキスタン地方の旅行最適期が八月及び九月であるため、夏期を中心に旅行日程を設定することとし、また、旅行経路については、〈1〉の中国からパキスタンに向かいシルクロードを西進して両国国境のクンジェラブ峠を越えるルートは政治的見地及び交通機関の確保等の観点から実施が困難であること、〈2〉イスラマバード、ギルギット間の空路は一日一、二往復にすぎず、しかもギルギット空港が海抜約一五〇〇メートルに位置し周囲を七〇〇〇メートル級の山々に囲まれているため、山間部の気流や雲等の発生により有視界飛行で飛ぶ飛行機がしばしば欠航して当てにならないこと、〈3〉ラワルピンディ方面からギルギット方面へ行くにはカガン谷からバブサール峠を越えるジープ道があるものの、夏の数か月しか通行できず危険であり時間もかかること、〈4〉過去において、他の大手旅行業者や登山隊、ロケ隊等のほとんどが利用しているという実績があったことから、旅行日数、観光内容、旅行代金、旅客の安全等の諸条件に照らし、タコット、フンザ間のカラコルムハイウェイをバスで往復するルートを実現可能な最も合理的かつ実際的なルートと判断して設定した。

また、右ツアーの客層としては、既にいろいろな海外旅行を経験した後に、特に自分が興味を持った場所を選択して旅行に参加するといういわゆるリピーターを主として考えていた。

そして被告は、昭和五八年度に実施するシルクロードツアーの内容について事前調査を済ませた後、現地における旅行会社ワルジス、運送会社、ホテル等と具体的な旅行条件について交渉を進め、同年六月から八月にかけて三回の企画を設定して旅行者を募集したが、応募が少なかったため、同年八月五日出発分のツアーのみを実施し、右ツアーは、同日から一六日までの一二日間の日程で、旅行代金は四七万八〇〇〇円、シルクロードの観光内容、歴史、文化等に精通する広島三朗を講師、被告東京航空支店の国際旅行部課長杉山忠男を添乗員とし、一般旅行者八名の計一〇名の参加者で、出発前に企画した内容どおりの旅行日程をもって無事終了した。

(二)  被告は、従前からの資料に基づく調査、広島三朗の指導・助言のほか、昭和五八年度のツアーに現地調査を兼ねて添乗同行した杉山忠男の報告をふまえて、シルクロードの文化、歴史の背景、ガンダーラ地方の仏教遺跡、そしてカラコルム地方の山岳の大自然をたどるシルクロードツアーの商品価値を高く評価し、昭和五九年度にも再びシルクロードツアーの実施を企画することとした。

そして、被告は、同年度のツアーの企画に当たり、前年度のツアーに添乗同行した杉山忠男の報告から、その際に利用したパキスタン航空機の運行状況及びサービスの内容及び質、パキスタン国内の政情、交通手段、宿泊機関及びレストラン等のサービスの内容及び質、ワルジス等旅行業者のサービスの内容及び質、カラコルムハイウェイの道路状況、車両の運行状況及び観光客及び旅行者の客層並びにコース内容等についてはいずれも問題はなく、特にカラコルムハイウェイは、旅行者、登山家、トレッキングのグループ等の観光客のほとんどが利用する幹線道路であって、バスによる移動も無理のない安全なものと判断されたことから、前年度とほぼ同様の旅行日程を立案した。ただし、前年度に企画したツアーの期間が長すぎ旅行代金も高額であったために参加できない旅行者があったことを考慮し、安い旅行代金でより広範囲の数多くの旅行者の参加を見込むこととし、旅行日数九日間のツアーを七回(旅行代金は二九万八〇〇〇円ないし三三万八〇〇〇円)、一二日間の旅行日数で広島三朗氏を講師とするツアーを一回(旅行代金は四三万八〇〇〇円)設定し、参加旅行者が二〇人未満の場合は添乗員は同行せず現地において日本語を話すガイドに随行してもらうという旅行条件で企画したうえ、被告の旅行取扱各支店に指示し、パンフレット、新聞及びダイレクトメール等を通じて参加者を募集した。

ちなみに、旅行日数九日間のツアーは、一日目は成田空港からパキスタン航空の航空機にてパキスタンのイスラマバードに至り、同地からバスでラワルピンディに向かい同地で宿泊、二日目はバスでラワルピンディより約二〇キロメートル離れたガンダーラ最大の仏教遺跡のあるタキシラを訪れ、シルカップ、博物館、山岳僧院を観光後、バスで同地から約八〇キロメートルのアボダバードヘ向かい同地で宿泊、三日目は、バスで同地から約四六九キロメートル離れたギルギットに至るものであるが、アボダバードからタコットに至り同地からカラコルムハイウェイに入り、カラコルム山中をドライブして北上し、ハイウェイの中継点であるギルギットに向かい同地で宿泊、四日目はギルギット市内のバザール、カルガの磨崖仏等を観光し、再びバスでカラコルムハイウェイを約一二〇キロメートル北上してフンザを訪ね同地に宿泊、五日目はフンザ、グルミットの観光を終えた後、バスでカラコルムハイウェイを約一二〇キロメートル南下してギルギットに戻って同地で宿泊、六日目はバスで同地からカラコルムハイウェイを約四五〇キロメートル南下しスワートに至り同地で宿泊、七日目はスワート市内のウディグラムの仏塔などを観光した後タフティ・バハイの山岳仏教寺院を観光し、同地からバスで約一〇〇キロメートル離れたペシャワールに至り同地で宿泊、八日目がペシャワール観光後同地から空路カラチへ向かい同地から航空機で日本に帰国する(機内宿泊)という旅行日程である。

なお、右旅行日程のうち三日日の日程は、前示のようにアボダバードからギルギットまでの約四六九キロメートルを一日のうちにバスで約一三時間かけて移動するというものであるが、これは、〈1〉設備、食事、部屋の衛生度等の見地から、一般的な外国人が宿泊するのに問題がないような基準に達すると判断される宿泊機関がアボダバードからギルギットの間には当時存在しなかったこと、〈2〉一泊して観光するに値する名所、旧跡がカラコルムハイウェイの途中に存在しなかったこと、〈3〉日本人以外の外国人旅行者及び観光客は、一般的に一日でイスラマバード、ギルギット間のカラコルムハイウェイをチャーターバス、ジープ、コースターなどにより日中あるいは夜間無理なく移動していたこと、〈4〉右のような移動が、カラコルムハイウェイの道路状況、気象条件、給油の頻度、食事の回数等に照らして無理がないとして、何らの抵抗もなく日本交通公社株式会社、近畿日本ツーリスト株式会社、国際ロータリー旅行株式会社等の日本の大手の旅行会社によって既に採用されており、広島三朗からも問題がないという助言・指導があったことからであった。

(三)  被告は、昭和五九年度のシルクロードツアーの企画がある程度具体化した段階で、右ツアーにおける各旅行サービスの手配に取り掛かった。

まず、日本-パキスタン間の運送サービスに関しては、被告がパキスタン航空株式会社を代理して旅行者との間で旅客運送契約を締結した。

また、被告は、パキスタン国内における宿泊及び運送サービスに関しては、その手配を日本法人であるグローバルプランニングに委任し、更に同社が現地のシルクロードツアーサービスに委任し、同社が旅行者のためにパキスタン国内における各宿泊先ホテルとの宿泊契約及びバス旅行につきイスラマバードトランスポートシステムとバス運送契約を締結するについて手配の委任をした。

被告は、昭和五八年度に実施したツアーにおいては、パキスタン国内における宿泊及び運送サービスの手配をパキスタン国内の大手旅行業者であるワルジスに委任したが、その理由は、〈1〉過去に行なった様々な手配の依頼に際し何の問題もなく円滑に仕事がなされていたこと、〈2〉自社で旅行者用の小型バスを所有しているためバス会社の手配が不用となること、〈3〉日本の多数の大手旅行業者が同社を利用していたことからであった。しかし、ワルジスは、日本語のできるガイドを保有していないため、日本からパキスタンの現地語であるウルドゥー語又は英語を話せる添乗員が行かなければ旅行者の世話ができないことから、被告は、旅行代金をできるだけ低廉に抑えるという昭和五九年度ツアーの企画方針に照らし、日本語を話せるガイドを現地で確保することに重点を置き、各種の資料に基づき会社の内容や過去の実績を調べたうえ、パキスタン国内における宿泊及び運送サービスの手配一切を委任する現地旅行業者を検討したところ、現地の大手旅行業者のうちの一つであるシルクロードツアーサービスが、〈1〉日本語を話せるガイドを五人雇用していること、〈2〉パキスタンの首都イスラマバードに本社を置き、本件旅行の経路にあるギルギットにも支店を有し、駐在員も置いていること、〈3〉旅行業のほかにギルギットにレストラン兼ホテルを所有し、イスラマバード、ギルギット、カシュガル間の定期便及び旅行用のバスを輸入し所有していること、〈4〉観光客、放送取材グループ、探検家、登山隊等の日本の旅行者だけでも昭和五八年度、昭和五九年度ともそれぞれ五五〇名にのぼる多数の旅行者のための旅行を手配しサービスを提供した実績があることが判明し、また、〈5〉同社の代表者サミュエル・ハク夫人が日本名を督永忠子という日本人であって、ギルギット方面の山岳地帯の登山経験もあり同地域の旅行について精通していること、〈6〉その夫サミュエル・ハクがギルギット出身の有力者であって、パキスタンの当時の大統領と姻戚関係にあったこと、〈7〉日本大使館でもしばしば通訳その他の手配に同社を利用していたこと、〈8〉近畿日本ツーリスト株式会社、国際ロータリー旅行株式会社等日本の大手旅行業者が同社を利用していたこと等の事実が確認されたことから、被告の企画した昭和五九年度のツアーをパキスタンの現地で手配する業者として適切であると判断し、シルクロードツアーサービスにパキスタンの現地における手配の一切を代行させることとした。

なお、パキスタン国内における宿泊及び運送サービスの手配をシルクロードツアーサービスに代行させるに当たっては、日本国内に法人格を有する営業拠点を有していたグローバルプランニングにその委任をしたが、その理由は、あらかじめ同社に旅行費用等の見積をさせ、会社内容、過去の実績、現地における手配内容等を調査・検討したところ、〈1〉同社の見積額が安かったこと、〈2〉日本交通公社株式会社、近畿日本ツーリスト株式会社、新日本トラベル株式会社、国際ロータリー旅行株式会社等の大手旅行業者との間に旅行手配に関する取引の実績があったこと、〈3〉インド共和国、ネパール王国、スリランカ民主社会主義共和国、バングラデシュ人民共和国、イスラエル国、トルコ共和国、パキスタン等の地域の旅行を広く手配していたこと等の事情が判ったからであった。

被告は、前記のとおり、昭和五八年度のツアーにおいてはパキスタン国内における宿泊及び運送サービスの手配を委任したワルジス所有の小型バスを同国内の移動手段として使用したが、昭和五九年度のツアーの現地オペレーターとして選択したシルクロードツアーサービスが、みずからはバスを保有していなかったので、パキスタン国内における移動手段を確保するため現地の運送業者を改めて手配する必要があった。そこで、被告は、〈1〉乗客が一〇名ないし二五名程度の人数に最適の日本製空調付バスを一〇台保有していること、〈2〉他の運送会社に比較して料金は変わらないにもかかわらず、サービスが最も信頼できること、〈3〉熟練した運転手を保有していること、〈4〉パキスタンにおいて昭和五八年度に開催された観光会議の席上で、パキスタン政府の観光大臣からそのサービスを賞賛され、その利用を推奨されていたこと等を理由に、シルクロードツアーサービスから強く推薦がなされたイスラマバードトランスポートシステムについて調査したところ、〈1〉同社は、イスラマバード市内の路線バスを定期的に運行している運送会社であり、旅行業者各社からの依頼に応じてそのバスを貸切バスに転用して多くの観光客を事故もなく運送している実績があったこと、〈2〉同社の保有しているバスは、イスラマバード、ラワルピンディ、カラコルムハイウェイ、ギルギット等パキスタン国内で走っている他のバスに比較して新しい型のバスであったこと、〈3〉同社は、パキスタン大統領の監督下に設立されたイスラマバード・シチズンズ・コミッティ(ISLAMABAD CITIZENS COMMITTEE-イスラマバード市民委員会)所有の法人であって、パキスタンにおいてバスを所有する業者により構成されるバス委員会によって運営される法人として「イスラマバード・シチズンズコミッティ」の名称で登録されているほか、イスラマバード市内の定期路線バスの運行を主たる事業目的として設立された公益性の強い法人であり、そのため、同社には基盤となる資本金がそもそもなく、大蔵省より非課税法人の指定を受け、バスを輸入する場合でも政府より免税輸入が認可されていたほか、カラコルムハイウェイを経てギルギットへ向かう山岳方面へのバスの運行については、その度に申請をし許可を得なければ営業としての運行はできないのが原則であるにもかかわらず、同社に限りその公益性のためにその度毎に許可を得なくても右ハイウェイを運行することが認められているなど数々の特典をパキスタン政府から得ていること等が判明したことから、被告は、昭和五九年度のツアーにおけるパキスタン国内の運送サービスを提供させるバス業者としてイスラマバードトランスポートシテスムが適切であると判断し、シルクロードツアーサービスに手配させたうえ、イスラマバードトランスポートシステムのバスを使用することとした。

なお、シルクロードツアーサービスは、イスラマバードトランスポートシステムとの間で本件旅行の旅行者のためにバス運送契約を締結する際、同社に対し、昭和五九年八月三〇日付書簡をもってシルクロードツアーサービスから添乗する予定のガイドがギルギット、フンザ及びスワート方面の経験を有しないことを理由に、同地方の道路及び観光地に詳しい運転手と助手を付けるよう指定していた。

さらに、パキスタン国内の宿泊機関については、日本において通常とされるような基準より劣るとはいえ、パキスタン国内の平均水準を上回る一流ホテルを確保し、食事をとる場所も、ホテルや外国人観光客になじみの有名な大きいレストランを手配した。

(四)  被告は、前記のとおり、パンフレット、新聞及びダイレクトメール等を通じて昭和五九年度のパキスタンツアーの参加者を募集する一方、参加者の募集と参加希望者への説明会を兼ねて、同年五月二四日午後六時三〇分から虎ノ門の国立教育会館において、「パキスタンの夕べ」と題する広島三朗によるパキスタンの現地事情の説明を内容とする講演とスライド上映及び若林忠宏のシタール演奏によるパキスタン音楽の鑑賞の集いを主催した。

亡らく及び原告海野は被告の右募集広告を通じて右ツアーの企画を知り(なお、原告海野は被告主催の「パキスタンの夕ベ」の催しにも参加した。)、亡らくは同年七月ころ、原告海野は同年八月ころ、被告に対して右ツアーの企画のうち同年九月七日出発予定の本件旅行の申込をした。

被告は、亡らく及び原告海野を含む本件旅行の参加者に対し、旅行出発前にあらかじめ、「フンザとガンダーラの旅」と題する本件旅行のパンフレット、旅行案内書及び最終案内書を交付したが、右書類にはすべて「カルコルムハイウェイを行く」という副題が付けられ、カラコルムハイウェイに沿って移動することが本件旅行の主な内容であることが明示されていたほか、本件旅行の日程、観光する各都市及び名所の簡単な説明、カラコルムハイウェイ周辺の地図、本件旅行の募集要項等が記載されていた。なお、右の旅行案内書は、特にカラコルムハイウェイとこれを使った移動日程について触れ、カラコルムハイウェイが一九七八年に完成した総延長六四五キロメートル、完全舗装、複車線の山岳ハイウェイであり、険しい山岳地帯の道路のため常に部分的な補修作業が行なわれていること、日程の中には長時間カラコルムハイウェイをバスで移動する日があり、その時には二時間ないし三時間ごとに簡易ドライブインやガソリンスタンドで休憩を取りながら移動することが明記されていた。また、右書類には、旅行の参加人員が二〇名に満たない場合には添乗員は同行せず、パキスタンの現地で日本語ガイドが同行するという本件旅行の条件並びに本件契約の履行に当たり被告又はその手配代行者の故意又は過失により旅行者に損害を与えたときは、被告はその損害を賠償すべき責任を負うが、運送・宿泊機関の事故等によって旅行者が損害を被った場合には、被告は、被告又はその手配代行者の過失が証明されたときを除き、右損害を賠償すべき責任を負わない旨の本約款二一条所定の被告の責任の範囲が明記されていた。

(五)  被告の前記企画に基づき、昭和五九年度は、一〇名の旅行者による同年七月一三日出発分、六名の旅行者による七月二七日出発分及び一二名の旅行者による八月一一日出発分の三回のツアーが本件事故のあった九月七日出発分の本件旅行前に実施されたが、七月二七日出発分のツアーの際、アボダバード寄りのカラコルムハイウェイで土砂崩れが発生したため、日程が一日遅れたほかは、事故もなく無事終了した。

(六)  本件旅行の参加者は、あらかじめ被告が企画した前示の本件旅行の日程のとおり、昭和五九年九月七日日本を出発してイスラマバードに到着、同地から本件バスでラワルピンディに向かい同地で宿泊し、翌八日は午前中に本件バスで同地からタキシラを訪ね、同地で観光を終えた後再び本件バスでアボダバードヘ向かい同地で宿泊した。イスラマバードトランスポートシステムは、イスラマバード出発前約二時間にわたり本件旅行に使用された本件バスを検査したが、車体及びタイヤには異常は見つからなかった。

本件旅行に際し、現地のガイドとして本件バスに添乗していたのは、当時シルクロードツアーサービスに勤務していたパキスタン人のジャベット・アクタル・アワンであり、同人は、現地のウルドゥ語、英語のほか日本語にも堪能で、本件旅行前に大手旅行会社のための現地ガイドをした経験や登山隊等に付き添ってカラコルムハイウェイを往復した経験を有し、被告が企画した昭和五九年度の七月一三日出発分、七月二七日出発分及び八月一一日出発分の三回のシルクロードツアーにも、いずれも添乗員としてカラコルムハイウェイをガイドしていた。なお、本件バスには運転手一名の他に助手一名が同乗していたが、右助手は運転の交代要員ではなく運転手の補助的仕事をするために運転手ともどもイスラマバードトランスポートシステムからカラコルムハイウェイに派遣されたパキスタン人であり、日本語を話すことはできなかった。

本件旅行の参加者は、同月九日朝五時三〇分ころ本件バスでアボダバードを出発してからカラコルムハイウェイを北上し、午前六時一〇分ころマンセラに到着して市内観光、午前八時二〇分ころタコットに到着して約一〇分間休憩、午前九時ころカラコルムハイウェイ建設記念碑前で小休止、午前九時二五分ころベッシャムにて約一五分間休憩、午前一〇時ころカラコルムハイウェイ上の第一検問所に到着、午前一一時四五分ころダスーに到着し昼食、約一時間休憩、午後三時三〇分ころチラスにて小休止、午後五時ころラキオット橋到着、午後五時四〇分ころナンガパルバット岳の眺望の見える場所にて二〇分間休憩、午後六時ころギルギットに向けて出発した。その間、旅行者の写真撮影や運転者の休息のために町ばかりでなく途中の道端でも適宜休憩を取ったほか、二、三回給油を行い、谷川を横切る場所などでは、ブレーキドラムが加熱してブレーキが効かなくなるのを防ぐため、小川から汲み取った水をブレーキドラムにかけて冷却する措置を採ったが、タイヤの交換はしなかった。カラコルムハイウェイ上の本件バスの速度は、早いところで毎時六五キロメートル遅いところで毎時一〇キロメートルで、平均速度は毎時三〇キロメートルないし四〇キロメートルであった。

本件旅行の参加者は、カラコルムハイウェイを約四六九キロメートル北上し、同月九日の夕刻には同日の宿泊予定地であるギルギットに到着する予定であったが、日没直後の同日午後六時五〇分ころ、前照燈を点灯した状態で毎時約三〇キロメートルの速度で走行していた本件バスがギルギットの手前約一五キロメートルの地点のカラコルムハイウェイの上り坂の左カーブに差し掛かったところ、本件バスの右前輪がパンクして運転手が右にハンドルを取られたため、本件バスは道路脇の防護縁石を突破して右側の崖を谷底に向い二、三回回転しながら約一五メートル滑落し、崖の途中の平坦な場所にタイヤを道路側に向け横倒しの状態で停止した。

本件事故の原因を調査したギルギット警察署の報告によれば、本件事故は本件バスの運転手の居眠りやわき見運転などの不注意により発生したものではなく、本件バスの車両の技術的欠陥が原因であるとされているが、右技術的欠陥の具体的内容及びその判断の根拠は明らかではない。また、現地の新聞であるパキスタン・タイムズの報道によれば、タイヤが岩に衝突したことがパンクの原因である旨報道されているが、その岩の大きさ、形状等の具体的状況について触れられていない。

本件事故直後の本件バスの状況は、フロントガラスをはじめとしてほとんどのガラスが破損していたほか、前輪のタイヤが左右ともにタイヤの溝が完全に消滅して真平の状態で、その左右の前輪タイヤがほぼ中央から縦に裂けていたが、後輪のダブルタイヤには異常はみられなかった。

(七)  本件旅行の中心経路とされたカラコルムハイウェイは、ラワルピンディの北二三七キロメートルのタコットからカラコルム山脈の中をインダス川沿いに走り中国との国境であるクンジェラブ峠に繋がる全長六四五キロメートルの複車線の山岳ハイウェイで、一九七八年に中国とパキスタンの共同作業で完成したものであり、両国を結ぶ幹線道路である。平均幅員約一〇メートルの道路にアスファルトでほぼ完全に舗装が施され、照明やガードレールの設置はないものの、道路脇には長さ一メートル、高さ五五センチメートル、幅四〇センチメートルのコンクリート製の防護縁石及び縦横各一〇センチメートル、高さ八〇センチメートルの木製の防護柱が二、三メートルおきに設置されているほか、急勾配、カーブ、速度制限、落石等を示す道路標識も設置されている。険しい山岳地帯のインダス川沿いの断崖に作られているため、土砂崩れや落石も時々あり、また、舗装部分が砂に覆われていたり崖から落下した小石や岩石が道路上に散乱している箇所もあるが、全経路にわたり軍の管理下に置かれ兵士の手により常に部分的な補修作業が行われており、要所には検問所も設置されている。

なお、一九八四年(昭和五九年)の一年間においては、カラコルムハイウェイにおいて本件事故を含め一八件の死傷事故の発生がギルギット警察署に対して報告されている。

また、アボダバードからギルギットまでの間にはレストハウスの施設がいくつかあるが、本件旅行当時日本から訪れた観光旅行客が抵抗なく宿泊、食事のできる施設としては、ベッシャムにあるパキスタンツーリズムディベロップメントコーポレーション(PTDC)のモーテルぐらいしかなく、他の施設はその基準に達していなかった。

(八)  本件バスは、一九八一年(昭和五六年)型であり、本件旅行当時パキスタン国内を走っていた他の車両と比較して新しい車両に属し、一九八四年(昭和五九年)四月一八日に六か月毎の法定点検を実施したときも異常なしということで検査をパスしており、次回は同年一一月二日までに点検を受ける予定になっていた。本件バスの運転手の運転資格についても、パキスタンの法律に照らし問題はなかった。

また、イスラマバードトランスポートシステムは、山岳地帯を運行できる一貫したライセンスを持っていることから、本件バスをカラコルムハイウェイを走行させるに当たっても格別の許可を得る必要はなかった。

(九)  パキスタンでは、新品のタイヤの輸入が厳しく制限されているため、溝の擦り減った中古タイヤが旅客運送業者のバス、貨物運送業者のトラックをはじめ一般市民の自家用車、オートバイなどに抵抗なく広く使用されており、タイヤの溝の深さについてはほとんど問題にされていない。摩耗したタイヤの外周に溝の付いた薄いゴムを接着剤で張り合わせるというような修理方法が広く行われているほどである。

したがって、本件バスが本件事故当時装着していたタイヤは韓国製であるが、右車体の点検、整備に際してもタイヤの摩耗状況については問題とされていなかった。

(一〇)  被告は、本件旅行の企画に際し、広島三朗からの説明や関係諸機関から入手した各種の資料や説明書によって、前記認定のカラコルムハイウェイの舗装及び整備状況並びにイスラマバードトランスポートシステムの会社の概要等については調査・把握していたが、それ以上にカラコルムハイウェイにおいて過去に起きた交通事故の数及び種類、イスラマバードトランスポートシステムの有する運転手の数、質、訓練及び教育の状況、所有車両の数、種類及び点検整備状況、タイヤの入手、保管及び整備状況、本件旅行のルートにバスを運行させた経験の有無及び程度、過去に起こした事故の数及び種類、経営者の経営方針及び人柄等については調査・把握していなかった。

また、被告は、パキスタンで新品のタイヤの輸入が厳しく制限されていることは把握していたが、同国内において一般に実際上どのようなタイヤが使用されているのかについては昭和五八年に被告東京航空支店の国際旅行部課長杉山忠男を添乗員としてパキスタンツアーを実施した際にも何ら調査せず、また、本件バスにどのようなタイヤが使用されるのかについても何ら問題点として認識していなかった。

2(一)  ところで、本件契約が旅行業法二条四項所定の主催旅行契約に該当すること、亡らく及び原告海野と被告は本約款により本件契約を締結したものであること、本約款三条が、主催旅行契約の目的は、旅行業者(被告)において、旅行者が旅行業者の定めた旅行日程に従って運送、宿泊機関等の提供する運送、宿泊その他の旅行に関するサービス(以下「旅行サービス」という。)の提供を受けることができるように手配することを引き受けることにあり、旅行業者自ら旅行者に旅行サービスを提供することを引き受けることにはない旨規定していることは、前記のとおりいずれも当事者間に争いがない。

(二)  そこで、まず右主催旅行契約の法的性質、これに基づく旅行業者の旅行者に対する義務の性質・内容を検討することとする。

(1)主催旅行契約における旅行サービスは、運送、宿泊等種々のサービスからなり、そのすべてを一旅行業者が旅行者に提供することは実際上不可能であるから、旅行業者は、旅行サービスの全部又は一部を運送機関、宿泊機関等の専門業者の提供するところに依存せざるを得ないこと、(2)旅行業者は、実際に旅行サービスを提供する運送機関、宿泊機関等の専門業者を必ずしも支配下に置いているわけではないから、これらの専門業者に対しては、個々の契約を通じて旅行者に提供させるサービスの内容を間接的に支配するのほかはないこと、(3)特に当該主催旅行の目的地が海外である場合には、これらの専門業者が外国政府の統治下にあるため、旅行者に提供させるサービスに関する支配は一層制約を受けることになること等を考慮すると、本約款三条が、主催旅行契約の目的は、被告において旅行者が旅行サービスの提供をうけることができるように手配することを引き受けることにあるとし、主催旅行契約をもって準委任契約類似の無名契約として規定していることには合理性があるものというべきである。

しかしながら、(1)旅行は旅行者の安全が図られうる条件のもとで実施されるべきものであるが、旅行は、その計画・立案の段階から終了までの間には相当の時間的経過があり、また、旅行者の場所的移動を伴うため、旅行者が自然災害、病気、犯罪若しくは交通事故等に遭遇する危険を包含しており、特に海外旅行の場合には、当該外国の風俗・習慣、生活水準又は社会・経済体制等が日本のそれらと相違し、また、危険若しくは安全性についての考えや水準も異なるため、旅行に伴う危険は国内旅行の場合に比し一層高度なものとなることもある反面、いったん事故があったときには、被害者が救護又は法的救済を受けることが困難若しくは事実上不可能であることもありうる等の特殊性があること、(2)主催旅行契約においては、旅行の目的地及び日程、旅行サービスの内容等の主催旅行契約の内容(以下「契約内容」という。)は旅行業者が一方的に定めて旅行者に対し提供し、旅行代金も旅行業者がその報酬を含めて一方的に定めるものであり、旅行者は、契約内容や旅行代金について指示し若しくは修正を求める余地がなく、提供された契約内容・旅行代金の額を受け入れるか否かの自由しかないのが通常であること、(3)旅行業者は、旅行についての専門業者であり、旅行一般についてはもとより、当該主催旅行の目的地の自然的、社会的諸条件について専門的知識・経験を有し又は有すべきものであり、旅行者は、旅行業者が右の専門的知識・経験に基づいて企画、実施する主催旅行の安全性を信頼し、主催旅行契約を締結するものであるといえること等を考えると、旅行業者は、主催旅行契約の相手方である旅行者に対し、主催旅行契約上の付随義務として、旅行者の安全を図るため、旅行目的地、旅行日程、旅行サービス提供機関の選択等に関し、あらかじめ十分に調査・検討し、専門業者としての合理的な判断をし、また、その契約内容の実施に関し、遭遇する危険を排除すべく合理的な措置を採るべき信義則上の義務があるものというべきである。

(三)  ところで、本約款は、(1)二一条一項本文において、旅行業者が、主催旅行契約の履行に当たり旅行業者又はその手配代行者の故意又は過失により旅行者に損害を与えたときは、その損害を賠償すべき責任を負う旨規定していること、(2)一八条において、旅行業者は、その主催した旅行の安全かつ円滑な実施を確保するために、〈1〉旅行者が旅行サービスを受けることができないおそれがあると認められるときには、主催旅行契約に従った旅行サービスの提供を確実に受けられるために必要な措置を講じ、〈2〉契約内容を変更するときには、その変更の幅ができる限り小さくなるよう努力すべき義務を負う旨規定していることは前記のとおりいずれも当事者間に争いがなく、また、〈証拠〉によれば、(3)一六条一項において、旅行業者は、旅行者が旅行を安全かつ円滑に実施するための添乗員の指示に従わないなど団体行動の規律を乱し、当該旅行の安全かつ円滑な実施を妨げるときには、右旅行者との主催旅行契約を解除することがある旨規定していること、(4)同条二項本文において、旅行者が旅行業者又はその手配代行者の管理外の事由により損害を被ったときは、旅行業者又はその手配代行者の故意又は過失が証明されたときを除き、旅行業者はその損害を賠償すべき責任を負わないとし、同項一号ないし七号には右管理外の事由として、〈1〉天災地変、戦乱、暴動又はこれらのために生ずる旅行日程の変更若しくは旅行の中止、〈2〉運送・宿泊機関の事故若しくは火災又はこれらのために生ずる旅行日程の変更若しくは旅行の中止、〈3〉日本又は外国の官公署の命令、外国の出入国規制又は伝染病による隔離、〈4〉自由行動中の事故、〈5〉食中毒、〈6〉盗難、〈7〉運送機関の遅延、運送機関の不通又はこれらによって生ずる旅行日程の変更若しくは目的地滞在時間の短縮を例示していることが認められるのである。

本約款の右各規定は、旅行者が主催旅行契約を締結することによって旅行業者に対して負うべき前記付随義務を明確化、具体化したものと解すべきである。そして、このような立場から見るとき、(1)本約款二一条は、旅行業者が主催旅行契約を企画・立案するに当たっては、当該旅行の目的地及び日程、移動手段等につき、また、契約内容の実施に当たっては、旅行サービス提供機関等の選択及びこれらと締結を図る旅行サービス提供契約につき、旅行者の安全を確保するため、旅行について専門業者としてあらかじめ十分な調査・検討を経たうえ合理的な判断及び措置を採るべき注意義務のあることを示すと共に、旅行業者の旅行サービス提供機関に対する統制には前記のように制約があること等を考慮し、旅行業者の責任の範囲を限定した規定と解すべきであり、そして、当該主催旅行の目的地が外国である場合には、日本国内における平均水準以上の旅行サービスと同等又はこれを上回る旅行サービスの提供をさせることが不可能なことがありえ、また、現地の旅行サービス提供機関についての調査にも制約がありうるから、特に契約上その内容が明記されていない限り、旅行業者としては、日本国内において可能な調査(もとより、当該外国の旅行業者、公的機関等の協力を経てする調査をも含む。)・資料の収集をし、これらを検討したうえで、その外国における平均水準以上の旅行サービスを旅行者が享受できるような旅行サービス提供機関を選択し、これと旅行サービス提供契約が締結されるよう図るべきであり、更には、旅行の目的地及び日程、移動手段等の選択に伴う特有の危険(たとえば、旅行目的地において感染率の高い伝染病、旅行日程が目的地の雨期に当たる場合の洪水、未整備状態の道路を車で移動する場合の土砂崩れ等)が予想される場合には、その危険をあらかじめ除去する手段を講じ、又は旅行者にその旨告知して旅行者みずからその危険に対処する機会を与える等の合理的な措置を採るべき義務があることを定めた規定と解すべきであり、したがって、海外旅行において旅行者が移動手段である運送機関の事故に基づき損害を被った場合において、旅行業者が右の各義務を尽くしたとすればこれを回避しえたといえるときには、右義務を鞫モした旅行業者は、主催旅行契約上の義務の履行に当たり過失があったものというべきであるから、同条二項但書に基づき同条一項本文所定の損害賠償責任を免れないものというべきであり、(2)また、本約款一八条は、主催旅行の主催者として旅行業者が負うべき付随義務の一つとしての旅程管理上の義務を例示したものであり、旅行業者が負うべき旅程管理上の義務は必ずしも同条に例示されたものにとどまるものではないと解するのが相当である。

右と異なる原告、被告の主張はいずれも採用することができない。

3  そこで、次に本件事故についての被告の責任の有無について判断する。

(一)まず、本件契約上の主たる債務である旅行サービスの手配に関し、被告又はその手配代行者が運送サービス提供機関を選択するに当たって過失があったか否かについて検討する。

被告が、パキスタン国内における運送サービスに関し、その手配を日本法人であるグローバルプランニングに委任し、更に同社が右手配をシルクロードツアーサービスに委任し、同社が本件旅行の旅行者のためにパキスタン国内におけるバス旅行につきイスラマバードトランスポートシステムとバス運送契約を締結したこと並びに被告が手配代行者であるグローバルプランニング及びシルクロードツアーサービス及び運送サービス提供機関であるイスラマバードトランスポートシステムを選択した理由は、前記認定のとおりである。

そして、前記認定事実によれば、被告は、右選択に当たり、会社の内容及び過去の実績等につき日本において可能な範囲の調査・検討をしたうえ、いずれもパキスタン国内において平均水準以上のサービスを提供し得る現地旅行業者及び運送サービス提供機関を選択しこれとの間でそれぞれ契約を締結した事実が認められ、その過程に前示の注意義務違反はなかったものと認められる。

特に、パキスタン国内における運送サービス提供機関としてイスラマバードトランスポートシステムを選択するに当たっては、〈1〉気温の変化が激しいパキスタン国内を日本人観光客を乗せて移動するに適した比較的新しい型の日本製空調付バスを保有していたことのほか、〈2〉サービスの信頼性、〈3〉運転手の熟練性、〈4〉過去の運送実績、〈5〉会社の事業目的及び公益性、〈6〉会社に対する評判等運送サービス提供機関としての適性を判断するについて必要十分な情報を収集していることが認められ、前記認定のとおり、イスラマバードトランスポートシステムの有する運転手の数、訓練及び教育の状況、所有車両の数、種類及び点検整備状況、タイヤの入手、保管及び整備状況、本件旅行のルートにバスを運行させた経験の有無及び程度、過去に起こした事故の数及び種類、経営者の経営方針及び人柄等については調査・把握していなかったとしても、外国政府の統治下にある現地運送サービス提供機関の選択の過程に過失があるとはいえないというべきである。

(二)  次に、本件契約に基づくその余の付随義務違反の有無について検討する。

原告は、本件事故は、〈1〉摩耗のためその表面の溝がほとんど消失し外力に対する耐久性の著しく劣化した危険な状態にあるタイヤを装着したまま本件バスを走行させたという本件バスに対する点検整備の不十分性、〈2〉道路脇の崖から岩石が常に落下しうる状態にし、また落下した岩石を本件道路上に放置していたという本件道路整備の不十分性、〈3〉本件バスの運転手に対し事故回避の措置を採ることを期待することができないほど安全性に無理のある旅行日程を組んでいたという本件旅行日程の強行性という三つの原因によって発生したものであるから、被告としては、本件契約を締結するに当たり、旅行先であるパキスタン国の車両の整備状況及び本件道路の整備状況に関し十分な事前調査を実施したうえ、右のような事故に至る具体的危険性の大きい事情については事前にこれを排除し、他に選択の余地のないときには企画・募集自体を中止するなどの措置を採るべき注意義務があったにもかかわらず、これを怠り、その結果本件事故を惹起させた旨主張する。

しかし、本件事故の状況は前記認定のとおりであり、本件バスの右前輪のタイヤが走行中に破裂したことが本件事故の直接の原因であったと認められるものの、本件バスの右前輪タイヤが破裂した原因については、右前輪タイヤがカラコルムハイウェイ上に落ちていた岩石に衝突したことにあるという現地の新聞報道があるが、その真否は本件全証拠を精査しても明らかではないし、仮に岩石との衝突が原因であったとしても、その岩石の大きさ、形状が明らかではないため、タイヤが摩耗して耐久力が劣化していたために破裂したのか、それとも新品のタイヤであっても衝突すれば破裂するような大きさ、形状の岩石であったのかは特定できず、また運転手がその岩石を避けることが可能であったのかどうか、被告の添乗員が乗車していれば本件事故を避けることが可能であったのかどうかも明らかではなく、結局、本件に現れた全証拠を子細に検討しても本件バスの右前輪タイヤが破裂した原因及びその回避可能性の有無は不明といわざるを得ない。

また、前記認定の本件道路の状況は、日本国内において一般に車両の通行に供されている道路に比較すればその整備状況において見劣りするものといわざるを得ないが、国内の山岳地帯を走る道路などと比較すれば遜色はなく、落石の危険が極めて大きい道路とは認め難いし、落下した岩石が本件道路上に放置されていることについても、日本国内の山岳道路においても間々見られるところであって、本件道路特有の危険であるとはいえない。

さらに、本件事故当日の旅行日程についても、移動距離とバスに乗車している時間は相当に長いとはいえ、前記認定のとおり、その間随時休憩をとりながら移動していたことが認められ、当日の日程が本件のバスの運転手を特に疲労させていたと認めるに足りる証拠はないし、仮に右運転手にある程度疲労があったとしても、それがなければ本件事故を避けることが可能であったのかどうかについて自体不明であることは既に述べたとおりである。

もっとも、タイヤの表面の溝がほとんど消失するほど摩耗すれば外力に対する耐久性が劣化することは顕著な事実であるところ、パキスタンにおいては、車両の安全な走行に密接に関係するタイヤの管理状況について、溝の擦り減った中古タイヤが一般に抵抗なく広く使用され、タイヤの摩耗状況については問題とされないという日本に比較して甚だ劣悪な状態にあることは前記認定のとおりであり、この点は、本件旅行の主な移動手段として現地のバスを利用することにしたことに伴う特有の危険であり、被告において予想しうる危険であったというべきである。そして、被告が、パキスタンで新品のタイヤの輸入が厳しく制限されていることは把握していたにもかかわらず、同国内において一般にどのようなタイヤが現実に使用されているかについては昭和五八年に被告東京航空支店の国際旅行部課長杉山忠男を添乗員としてパキスタンツアーを実施した際にも何ら調査せず、また、本件バスにどのようなタイヤが使用されるかについても問題視することのなかったことは前記認定のとおりであるから、被告は、本件旅行の移動手段の選択に関する調査・検討が不十分であったとの感を免れないというべきである。そしてまた、当裁判所に職務上明らかな事実によれば、パキスタンにおいて、自動車の普及率が極めて低いにもかかわらず、本件事故の翌年である昭和六〇年の自動車一万台当たりの死者数は、約一四〇人であり(ただし、事故の態様は明らかではない。)、わが国の昭和六一年の自動車一万台当たりの死者数約二・六人に比し約五四倍に達したこと(第一一二回国会(常会)に提出された昭和六二年度交通事故の状況及び交通安全施策の現況一一頁、四〇二頁)をも考えるとき、その感を深くする。

しかしながら、本件事故の直接の原因が摩耗して耐久力が劣化していたタイヤにあることを認めるに足りる証拠がないことは前記のとおりであり、結局被告の右付随義務違反の事実と本件事故との間の因果関係はこれを認めるに足りないといわざるを得ない。

したがって、本件契約上の債務不履行又は不法行為を理由とする原告らの本訴請求はいずれも理由がないものというべきである。

三  以上のとおり、原告らの本訴請求はその余の点について判断するまでもなく理由がないのでこれを失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 柴田保幸 裁判官 原田 卓 裁判官 潮見直之)

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